わりとうるさいヒトリゴト。

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舞台「いまを生きる」2021 感想

2021年2月14日大阪公演 最終日

 

(翌日には終わってたのに、下書きにいれっぱなしだったので、今更だけども)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ずごい゛泣いた舞台でした。


基本的に、まずい料理はないなんでも美味しいねパクパク人間なので、バカ舌と呼ばれることもありますが、美味しい食べ物ばかりのこの世は大変幸せな世界です。

幸せなことに、つまらない舞台も観たことはない。が、舞台「いまを生きる」は最高の舞台でした。

 

全ての言葉に魂が乗っかってて、どこを切り取っても胸が熱くなった。とくに佐藤隆太さんが演じた、キーティング先生の台詞はどれも良かったので、キーティング名言集を出して欲しいくらいです。わたし買います。てか国語の授業にあってもいいくらいだった。とても胸が熱くなりました。


「私だったらどの立場かな」って見ると面白いだろうな。と思いながら見るのも面白かった。このセリフのときのこの子の表情とてもよかったけど、あの子は?と、目がいくつあってもたりないし、頭がいくつあってもたりない。

何度も見たい、何度見ても号泣する舞台だった。


ゆえに「?」な部分も多くて、それはわたしに学が足りないことだって、けっこう落ち込むんだよな…、、、。シェイクスピアはわかるけども、たぶん聖書のことも出てきたんだよね。聖書のことだってのはわかっても、どういう意味ってか、考え方すりゃいいのかまではわからんさったのが悔しい。あーなんかわかる、これあれだ…あれなんだよな…うん…。って笑うところも多々あって、あーーーーー悔しい。よって名古屋公演も観たい。なぜ申し込まなかったんだ私!!!!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

えーーーーーーこれどうやって感想残していこうかな。


シーンが変わることが多くて、(ほぼ生徒役の子達が机やら小道具を動かしていた)そこでまとめていくのはめちゃくちゃ難しいしなーーーーーー。あーーーーー出演者さんでまとめるか。っておもったけど、俳優オタクの方から反感買うのは絶対に避けたい。

なんか、その界隈によってNGワードってあるし笑笑


まあいいかな、


まあいいか、

 

 

 

 

 

やっちまおう!!!!!!

だって瀬戸くんがわたしの心を大揺さぶりしてきた!!!!

 

 

 

はーーーーーーーーーーーー瀬戸くんのシーン全て良かったなー!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まってくれ私は基俊介担だ。(そうです)

ジャニオタなので、ジャニオタらしく、ジャニオタからみた感想ということで進めていこうな。おっけ、


レポっていうより、感想です。


見る人によって考え方が全く異なる舞台だと思います。


これは、わたし個人の感想や考え方を落としたものです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いきます。

 

 

◆スティーブン・ミークス役

→基俊介くん

「オタク」や「マニア」という言葉が1950年代に存在していたならば、ミークスに当てはまる言葉。6人のなかでは一番幼く、純粋。勉強ができる。


そうですわたしの推しです!!!!!!!!!!

1人での観劇だったのだが、お隣に座った方が基俊介担だった。(結構大きな声だったから聞こえたんだよごめんな)基くん、聞いてくれよ、大阪公演千穐楽の公演は、真ん中らへんにいたのは基俊介担の2連だったんだよたまたま(話しかける系ブログ)いや私は公演前にパンフレットを読んでいただけなんだけど、お隣の2連らしき女性2人が自己紹介してて、うっかり聞いちゃったんだよごめんなさいね。だってそりゃ隣だもん聞こえるよごめん。

「三宅さんのファンで、滝沢歌舞伎を見てるうちにねー、後ろにいる基俊介くん可愛いなーーーって気がついて〜」みたいなことお話ししておったが、わたし「え???SnowManは?!」って声出そうになってしまったよあぶねあぶね。まあでも基俊介担なら岩本さんのことはかじってくれているはず。視界にはうつってるといいな…。


んで、基俊介が演じたミークス役だけども

ぶっちゃけると1番ストーリーの中でキーマンではない。ミークス君がいなくても話は繋がる。ミークスくんのセリフがなくても話は最後まで終わるのだが、ミークスがいないと、物語はとんでもなく重くなる。この物語が、最初から地獄のように暗くないものなのは、ミークスくんがいるからだよ!!!!!!!!!!

この劇中下、生徒たちはみんな思い思いに壁にぶち当たる、それは自分の価値観が輪郭を持ったこと、それが他人とは違うこと、「自分」が「いま、この時を」どう「生きるか」と向き合う。人生の転機がいくつも転がっていて、人生を左右する大きな出来事が次々と起こっているし、起こしていく。だけどもミークスくんは、最初から最後までずっとミークスくんなんだよな。


こんなこと言いたかないけど言うよ、(言いたい)

 

 


基俊介のミークスがひたすらに可愛い。

 


それにつきる。

 


基俊介担これ全員みてる?ミークスを見た?見てほしい!!!


基俊介担は、ミークスくんを見てないなんてもったいなさすぎる。彼は「みんなよりも幼い」これについて顕著に出てるのは、性に対する理解がみんなよりも遅く、同じクラスメイトのチャールズとの会話がかなり噛み合わない。くせに、ノックスの恋は冷やかす。なんなんだこいつ!!!!!笑

幼いがゆえに、純粋で、もしかしたら彼が1番「普通」として生きていけたのかもしれないと思うところがあったなあ。キーティング先生と出会わずとも、彼には目の前に多くの選択肢があって、どの道を選ぶか選択できる人間だったのでは、とも思った。


幼くて、純粋で、未熟で、性をまだ知らない高校生のミークス。

それゆえに、キーティング先生の言葉を真っ直ぐに入ってきた子なんだろうなと思う。ミークスくんの家庭環境は劇中に出てきてない(たぶん)死せる詩人の会に参加したミークスは、参加する前とさして変化はない。(たぶん)

それゆえに、キーティング先生や仲間とのこの一件は、彼の中に深く刻まれ、そして前へ進むと思う。と、思う。彼のこれからが、素晴らしいものでありますように、と、強く思うよ。知らんけど、


劇中、まず登場してすぐ、ノックス役の影山さんの隣だったので、「基俊介ちっさ!!!!!」がめちゃくちゃ強く印象づけられて、ふふふって笑ってしまったマスクしててよかった。ごめんね大好きだよ基くん。影山くん180あるからね、そりゃでかいよな。


キーティング先生がやってきた授業で、「教科書を破れ」となって、みんな思い思いに教科書を破るんだけど、基俊介くんメガネにね…くしゃくしゃにまるめた教科書を両目にはめて、にこにこしてるの、ニール役の瀬戸くんにつっこまれてたかな。チャールズだったかな、どっちかだった気がする。

この辺、アドリブで毎回違うことも想定できるので、あと5回は見たい。チケ代払わせてくれ。


あとなんだっけ、校長室から出てきて、たぶん廊下を歩くシーンだったと思うんだけど、廊下を曲がり切らずに、新くんのトッドわーみつけて話しかけていたから、あそこはたぶんちゃんと曲がりきった方が最高だった、ここだけ気になった。ごめんなさい。


いや本当に可愛かったんだよ基俊介が(大声)


死せる詩人の会に、恋をしているノックスをからかうためだけに女性が描かれたポスターみたいなのを、チャーリーが持ってくるんだけど、ひと通りからかったら、それをすっと手に取り、自分のポケットにしまうミークス!!!!!!!!!!!!ニヤニヤといやらしい顔をして、デレデレとそれを眺める、それはミークス!!!!!!メガネをかけなおすミークス!!!!!!


こんな可愛い子いるー???????ってな具合に可愛かった。


ノックスが一目惚れをした、クリスという女性がどんな人なのか説明しているところ「彼女の唇はまるで布団のようだ」みたいなことをノックスは言います。まずこれも分かるようでよくわからんのだが笑 まあ全くわからんこともないこの発言に、対して、ミークス基俊介は「それって羽毛?!!!」と言う。ばかかよ!!!!!!!


過去の卒業アルバムを見て、キーティング先生のところに「太もも野郎」って書いてあるのを見たミークス基俊介は「フライドチキンが好きってこと???」と言う。ばかかよ!!!!!すかさずみんなから「ばーか、女が好きってことだよ!」とツッコミを入れられますが、「あ〜なるほど〜」と言ったような大口を開けてリアクションをとるけど、すぐに興味は別の話題へとうつる。


幼いとはこういうことだ。

 


ショタみがすんごい(生唾)

 

 

恋をするノックスとも、それを揶揄うチャーリーとも、それを止めるニールとも、それらを冷や冷やしながら見てるキャメロンとも、誰と比べてもミークスは幼い。

で、こんな可愛いすぎるミークスをやってのけた基俊介すごい。あざとい可愛い。のに、嫌味はない。ちゃんとみんなからも可愛がられている。

眼鏡に教科書丸めたやつ入れるのも、しこたま可愛いかった。もうずっと可愛いかった。あとアドリブに、佐藤隆太さんが反応してくださったりして、本当に可愛かったんだよ。

舞台袖での、チャーリー役の三宅くんとの絡みも、何もかも可愛いかった。また見たい、だってわたしは基俊介担だから!!!!!!

 

 


◆ ノックス・オーバーストリート役

→影谷拓也

無邪気なタイプ。卒業生の家のディナーでたまたま隣の席に座った美少女クリスに一目ぼれをする。クリスにはチェットという恋人がいるが、盲目的にアプローチする。


いーーーーーーーーや影山担生きてる???わたしならしんでる。たぶんこの素晴らしい舞台を、見たい、見続けたいのに気絶してるきがる、わたしが該当担なら。いや、岩本さんだったら泣いて喜んでると思うけど。(基準はなぞ)

兎にも角にもめちゃくちゃよかった。ノックスは同じテーブルでご飯をしたクリスという女の子に恋をしてしまう。多感な時期の恋、きっとノックス初恋。


死せる詩人の会に参加して、ノックスはその気持ちを文字に乗せることで、更に愛を肥大させていく。その様子がとても可愛かった。お互いの家柄のことはわからないけど、クリスには婚約者がいる(本人は不本意っぽいけど、どうなんだろもう一回見たい)その婚約者のチェットのことなんて眼中にないほどにクリスを愛してしまった。


ノックスがこの物語におけるキャラクターは、クリスに恋をするというものなのに、ノックスがクリスと出会い、クリスに恋をするシーンはないんだよ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!影山くんの表情演技で全てそれが物語られる!!!!!!!!!わしゃ感動した!!!!!!!!!!!!!!

暗くなる舞台上で、影山くんは舞台の最前、センターに立ち、表情だけで演技をする。こういう舞台ではよくある演出でもあるけど、そんなことはどうでもいい、影山くんがとてもよかった。スポットライトは彼だけに当たり、後ろではみんながシーン替えをしてたかな。とにかく影山くんのここの演技がすごい好きだった。


ノックスがクリスと出会い、恋をした顔、その気持ちを宝物のように大切にする顔。彼は恋をしていた。くううううううううううう、たまらん、この1シーンの、台詞もなにもない、このシーンの影山くんを見るだけでも、この舞台を見る意味があるというか、わたしこれ観ることができてよかった…。後にも先にも、この影山くんのシーンは忘れられないだろうな。


パンフレットにて佐藤隆太さんが、ノックスの告白のシーンが印象的だと話していたけど、わたしもここはすきだった。「愛してる!」とド直球に伝えるノックスは、とても綺麗な男の子だよ。


影山くんが演じるノックスが、クリスの学校に行き、死せる詩人の会で培った気持ちを言葉に乗せ、クラスで呼んだ。とんでもねえ、とんでもねえんだよノックスくんよ。他校のやつが突然クラスにやってきて、大声で愛の告白をする。それも詩にのせて。当の本人であるクリスはもう赤面!!!!!(そりゃそうだろ)クリスの婚約者であるチェットは、ブチギレ。そんなのおかまいなしのノックス。


もちろんこのシーンもないので、チャーリーだっけ、ニールだっけ、チャーリーだった気がする。お前こんなことしたらしいな!とからかわれて、あーこんなことがあったんだな?と知るわたしたち。そう、だからクリスの婚約者のチェットは出てこないんだよ、出てこないが、勝手に脳内は「チア部所属学校のマドンナと付き合ってるアメフト部のムキムキの男」が、私の脳内でイメージされる。地味でお勉強ばかりしてるノックスはさしずめピーターパーカーみたいな男で、自分の女取られてブチギレるDJの彼氏じゃん。たぶん彼は闇堕ちして敵となる。頑張れよノックス…、、、、、。

 

 

 

 


とか思ってる私の思考を大無視して、2人はそっと寄り添う。ニールの舞台を見に行く!!!!!!!!!!2人で!!!!そっと!!!!!なんなら死せる詩人の会にも来るクリス!!!キャメロンいないのに!!!!!!!(キャメロンはたぶん意図してきてないたろうけとね。)


チェットというものがいながら、2人は手を繋ぐ。


チェット闇堕ち確定。


ピーターパーカー影山、頑張れよ…、、、、、、。

 

 

 

 

 

 

 


とかなんか内心ちょっとふざけながらも、2人の恋を応援していたわたしが客席にいたので、わたしも死せる詩人の会のメンバーな気もする。(ほざく)いやでも、何回思い出してもノックス影山くんの恋するお顔は可愛かった。可愛い。


ミークス基俊介を追っていて気が付いたのだが、キーティング先生との授業のやりとりの中で「どうして人類は言葉をもったのか」みたいな問いに対して、キーティングは「女を口説くためだ」と言う。真面目でピュアなピーターパーカーは、…違う、ノックスは「そうか、そうなのか〜」って1人この言葉が胸に響いてやがる。納得してやがる。そして、俺が言葉を喋れるのはクリスに愛を伝えるためだと納得してやがる。なんたる視野の狭さ、可愛い!!!!!!!!!!で、そんな真面目でピュアなノックスを、ニヤニヤ見てるミークス基俊介。クソガキで可愛いかった。


2人は、可愛いかったなあ、できれば辛くない未来を歩いて欲しかった。涙なんか、彼らには似合わなかったよなーーーーー。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2人はそこまで話のキーマンではないので先にしました笑

 

 


◆ リチャード・キャメロン役

→市川理矩

ウェルトンのブレザーを着ることに誇りを持ち、誰より努力する。素直でまじめ。全員のなかではいじられ役。


キャメロンはキャメロンなりの正義があるような子で、彼の最後の選択も「これが1番最良の選択だ」と自分なりの正義があってのことだと思っている。わたしには彼を「なんてことしたんだ」なんて、チャーリーみたいに責めることはできない。チャーリーもまた、自分の正義があってゆえのことで、キャメロンを責めることは不本意だったろうけども。(チャーリーのこと好き過ぎてチャーリーのこと話してしまった)


キャメロンは慎重で真面目な性格、この手のキャラクターは恋愛ゲームでも漫画でも、絶対に推さないキャラなので、ぶっちゃけあんまりなんだけども(ごめんなキャメロン)だけどもだよ!!!!!こんな優しい子が、最後にみんなを「裏切る」という選択をしなくてはならない未来は絶対に迎えてはいけなかったよな。と涙しました。

彼にとってはそれが最良の選択だったとしても、キャメロンだって、絶対に最後は、キーティング先生に対して叫びたかった、机の上に登りたかったはずだって思うよ…キャメロン…(思い出し泣き)もっと言えば、ニールが父親に連れ戻されるとき、彼は拳を少しあげて、またすぐに下げた。彼はもう、このときから「死せる詩人の会」やキーティング先生や、みんなとの間に距離があること、そしてこれからどうなるのかを、誰よりも大人で真面目で臆病者のキャメロン、優しいキャメロンには、未来がなんとなくわかっていたんだと思う。ニールがどういう仕打ちをうけるのか。


彼がウェルトンの制服を着れることに誇りをもっている。という紹介文を読んだとき、観劇前だったので「性格と不一致じゃね?」なんて思っていたけど、こういうことか…、、、なんて理解したときもまた、涙したなあ。わたしもうずっとグズグズだった。彼はこの学校を卒業して、このまま上流階級としてすすむ道筋が見えているからで、そのために努力をしている。家庭環境はわからないけれど、それが最良の選択で、それが彼の幸福なんだと思いました。


この作品におけるキャメロンの表情といえば、教科書のページを破るとき、死せる詩人の会を開くとなったとき、チャーリーが新聞の内容を書き換えたと言ったとき、怒ったり呆れたり心配そうな顔したり、下を向きがちでずっと曇った顔をしてたイメージが強いんだけどね、だけどね、だけど、みんなとの時間を過ごす過程で楽しそうに笑ったときは、「ふああああああ」ってなった。こっちも満面の笑み。


そして物語の終盤、キャメロンが取った行動、キーティング先生が悪いと学校に密告したあたりから、もう涙ドバドバ。だってキャメロンはそんなことしたくなった、キーティング先生を絶対に慕っていたし、あの時の笑顔に嘘はないって信じたいし。そう、この結末は、ニールの死が受け入れられない彼の、「最良の選択」これにつきる。だって彼はチャーリーにだって退学してほしくなかったはず。何度も殴りそうなのを止めた。キャメロンは煽ったように見せて、チャーリーの暴力を止めていたし、チャーリーの未来だってあんじていた。


キャメロンは、ウェルトンで学ぶこともそうだけど、ニールと学ぶことにも誇りに思っていたんじゃないかな。彼の、「キーティングがいなければ、ニールは今頃ここで科学の勉強をしていた!医者になるために!」と大声をあげる。いやもうここ滝のような涙よ。まじでドバドバ泣いた。キャメロンは誰よりも辛かったんだ、ニールが、いないこと、ニールと、学べないこと。


ああ、キャメロン、きっと彼はこのまま上流階級の仲間入りをして、いつか可愛らしい穏やかな女性と結婚し、可愛らしい子供を授かり、幸せに暮らすんだ。でもきっと、ずっと、あの教室で過ごした時間、全ての情景が、孫ができて、家族みんなに囲まれてベッドで静かに息を引き取るその瞬間まで、彼はきっと鮮明に覚えていると思う。

そして、キーティング先生の最後の顔だって、教室を去った背中さえも、もちろんニールの笑顔も、絶対に忘れずに、いると、思いたい。願望、


ほんとうに海外の男の子っぽくて可愛いかったなー市川くん。

これも何かのご縁なので、ーーーと思って、出演作を検索かけたのだが、見事に通ってこなかったところだった。もったいないので、何か見たいよねってことで「シグナル100」見ようと思ったのよ。ニール役の瀬戸くんもいるし。でもデスゲーム系は苦手だからなーーーーーーーーーとかうじうじしてるまに、時は過ぎゆく。市川理矩く、気になるー!

 

 

 

 

◆ チャールズ・ダルトン

→三宅 亮輔

生徒たちのなかで最も男らしいキャラクターで、問題児の輝きを瞳に宿している。周囲をからかうことも良くあるが、正義感があり、仲間を売るようなことはしない。


チャーリーがどんな人間かなんて、制服の着崩し方を見れば一目瞭然だよな。一目でどんな子かわかる。ジャケットは少しばかり肩で着て、シャツの第一ボタンはいつもあいてる、ネクタイはゆーるゆる。堂々と、真っ直ぐ前だけを見て、肩で風を切って歩くような歩き方。

あーーーーこんなやんちゃな子、同じクラスにいたなー!!!!とかなんか、数億年前の記憶がパカっと開いて、少し笑っちゃった。


佐藤隆太さんが、パンフレットのコメントで「僕が学生の頃はチャーリーのような子だった」みたいなこと言うてたけど、なんかそれも想像つく。ニールとはまた別角度のクラスの中心人物、ムードメーカーって感じ。


そして、こと慎重なキャメロンとは正反対のチャーリー。だからこそ2人が言い合うシーンは今でも鮮明に覚えてる。

制服の着方でさえも違う2人。ウェルトンの制服に誇りを持ち、勉学に励む理由は上流階級の仲間入りをするため、それがキャメロンであるが、それに対してチャーリーはブレザーのボタンしまってたことあるか?ってなぐらいだし、なんなら肩で着てる。ねくたいはゆーるゆる。あ、これ最初にも書いたな笑 そんな2人の言い合いは、キーティング先生の授業のことや、死せる詩人の会のことや、新聞のこと、掛け合いのセリフの場面が多かったような気がする、ここの2人。ニールとトッド、キャメロンとチャーリーって多かったかな。で、キャメロンとチャーリーの掛け合い、


それが1番盛り上がっていたのは、ニールが死んだあと。


キャメロンのところでも書いたけど、キャメロンはチャーリーのことを守りたかったんだと思うんだよね。チャーリーのその素直ゆえの感情のコントロールができていないところ、目先のことばかりで、将来のことを考えられていない行動な言動に、怒っていなかったことはないと思うけど、けど、キャメロンはチャーリーも守りたかった。だから、「殴れよ!殴ればきみは退学だ!」と煽るかたちになってしまった。


だけど、チャーリーはキャメロンを殴る。

結果、チャーリーは退学になるんだけども。チャーリーは殴るよね、殴るんだよチャーリーは、そういう男だ。校長の呼び出し放送が流れた時、ああ…チャーリーが退学になってしまう。とても悲しかったのは、わたしがキャメロンのことを考えていたからだろうな。

まあでも、殴るのがチャーリーだろ。この話の中で、ニールが死んだ要因はキーティング先生であることをみんな署名させられていたけど、チャーリーが署名していない。キャメロンをなぐって退学になったからね。彼はもし、殴っていなくても署名をしていなかっただろうから、どのみちウェルトンを退学になっていたと思う。大人たちにいろいろな理由をつけられて。それでも、なんだとこの野郎、と、大人たちの胸ぐらを掴むのがチャーリーだろう。こんなとこ、辞めてやるよ、と、唾を吐くくらいする。


チャーリーの思想は、思春期特有の男子で、性的興味、腹立たしいことにも嬉しいことにも、感情がどれもドストレート。仲間のためならと、立ち上がることのできる真っ直ぐな男の子だということは容易にわかるけど、ニールがキーティング先生の部屋にいって、父親との確執を相談したとき「僕の家はチャーリーのように裕福ではないから」と台詞を残す。

けっこう話の終盤というか、ちょっとお尻が痛くなってきたな、足組み直してもお尻いたいな…の時間!!!!に、チャーリーの家が裕福だと知る。びっくりした、し、だから色んなことがストンと落ちた。


たぶん、あそこでチャーリーがキャメロンを殴らず、大人のいうことをきいて署名していたら、それでこそチャーリーはチャーリーではなくなる。キーティング先生の最初の授業で、教科書のページをいの1番に破ったのは彼も、歩かないという選択をとった彼も、あそこで殴らないならば、これまでのチャーリーはいなくなってしまう。ような気がしている。

チャーリーはたぶん、キャメロンを殴ったこと、を、後悔してると思う。それは退学になったからでなくて、キャメロンのことを、だ。謝るタイミングあったのかな、なかったろうな。最後に、チャーリーが目をやったのは、トッドだったと思うし、なんだかなあ、これはこれでまたしんどくてね。チャーリーはキャメロンのこと「裏切り者」じゃんね、このとき。頭のどこかではキャメロンの選択も理解してると思うが、ね。しんどいしんどい。

チャーリーは、からかってはいたけど、なんだかんだ、殻を破り前へ進もうとしてるトッドのこと好きだったと思うし、ニールとの関係によって雰囲気の変わっていくトッドのことを、よく見ていたと思う、だから、最後のあれなんだろうけど、さーーーーーー、しんどいしんどい笑笑


いつか、どっかの飲み屋とか、いや商店でもいいよ、ばったり2人が出くわして、またあのときの楽しかった時間が戻ったように、2人が笑い合うことができますように。


チャーリーのおうちはお金持ちだし、彼のあの熱さや真っ直ぐさなら、人の上に立つ人になっているんだろうし、あのときのキャメロンの行動にも、自分のとった行動にも、あのときの拳の熱さにも、…幸せになってほしいよなあみんな。

 

 

 

 

◆ トッド・アンダーソン役

→佐藤 新

転入生。ウェルトン出身の優秀な兄と幼い頃から比較され、両親からの愛情が薄いと感じている。それがトラウマとなってか、喋る際にはどもってしまうことも多い。しかし、ルームメイトのニールとの友情や、キーティング先生の斬新な考え方に感化され、自分を表現できるようになってくる。


登場のシーンから、トッドは様子がおかしい。周りを気にして、周りに合わせて動き、発言に力がない。前もった情報を入れずに見たので、「あらた、ずれてんぞ」とか思ってしまいとても恥ずかしかった。正直に言う。そして更に正直に言う、前回の公演のトッド役は永田さんだったんか!!!!!!!!!!!!!!やーー宮近さんのニール役も見たいとは思っていたが、そんな宮近さんの前にいるのがトッド永田さんなのも超見たい。永田さんて、あれよな、横浜流星の友達役の可愛い子よな、ハイキューで孤爪さんの人。見たかったわーーーーー(大の字)新くんめちゃくちゃハマり役じゃんこれ、とか思っていたが、わしゃわがままなので永田さんのも見たいかった。くやしい。


トッドに関しては、キーティング先生とニールによって、人として成長していく過程がとてもよかったなあ。明らかに殻に閉じこもって、自分に自信がない彼は、優秀な兄がコンプレックスで、劣等感の塊の男の子。いっつも下を向いていたけど、2人によってどんどん自分らしさを見つけていく。

この作品の登場人物の中で、大きく「変化」があったキャラクター、これを成長とするのか変化とするのかは、今後のトッド次第だと思うので、変化にしておきました。


トッドのキャラクターは、対ニールとの掛け合いによってかなり明確になっているし、その背景も、ニールの親子関係との違いによってわかる。雰囲気や細かい所作で、トッドという人間を表して、そして周りの人間たちによって変化していく過程を表現する。まだまだ経験値の浅い新くんにとっては、難しい役だったんだじゃないかなーとも思う。やーーー新くんこれよかったよなーほんと、見れてよかったよわたしゃ。

劣等感の塊だった男の子が、周囲の人間との関わりによって表現を覚え、笑顔を増える、そして、友の死によって絶望する。これを、あの新くんが表現してるってだけで泣ける。


んで、対ニールとや対キーティング先生とのセリフの中で、ニールの親子関係よりもひどいことや、家族関係がよくないこと、いまのトッドが両親によってこうなってしまってることがわかる。

記憶に強くあるのは、ニールの父親とトッドが対面したときのこと、彼は「うちのよりましさ」と言う。この言葉の温度感の無さ、ニールの父親に対する感情や態度から出る温度感とは全く異なる次元にいるセリフだった。「トッドの父親よりはニールの父親はまし」どの部分がそうなのかはわからないけど、トッドは両親から優秀な兄と比べて期待されていないような感じだったし、父親からの圧力はあれど期待されているニール、会話ができるニールと父親との関係よりは、うちの方がひどい、トッドは会話すらできぬ高圧的で自分の意見など述べる隙もなく、そして期待すらされない、「いてもいなくても一緒」のような存在として扱われてきたのではないか。

 

はーーーーーーーーしんどいねえ、しんどい。


極め付けは、両親からの誕生日プレゼントだよ。大学のマグカップが贈られてきた。同室だったニールは、よかったじゃないか!と笑顔で言うが、それが去年と全く同じマグカップだった。


はーーーーーーーーーーーーしんどすぎる、しんどい。

 


だけど、トッドはたぶん、死せる詩人の会でたくさんのことに触れ、キーティング先生の言葉やニールとの生活で、いまの自分がよくないことに気がつく。マグカップをゴミ箱に捨てたとき、自分の想いを言葉にしたとき、彼は、しっかりと両足でまっすぐと立てたような気がする。

まあでも、問題なのはトッドがニールとキーティング先生に憧れすぎてしまった点だよな。生まれてはじめて見た親鳥だもんなしゃーないよなとも思うが、トッドは2人に依存していたような気がするし、宗教じみていたようにも思う。キーティング先生に至っては、こんな大人いたんかって具合でもあるだろうしな。


うちのよりもましだとこそ言ったけど、ひどい父親に反抗して舞台に立とうとするニールに、最初こそは焦っていたし反対したけど、父親に争おうとするニール、しかも演技の練習をしているニールはとても楽しそうで、さぞ眩しかったろうし、頼もしかったろうし、ニールの幸せは自分の幸せだったでしょ、トッドくん。

そして、ニールの夢がトッドの夢となり、その夢が消える。


トッドが創作した詩の中に出てくる「真実という毛布」は、わたしのメモにあるのは、泣き弱ながらも書いた汚い走り書きの字でとてもわかりづらいんだけど笑笑

「真実の毛布」それは「常に足がはみ出る毛布」は「決して僕たちを覆ってはくれない」この世に生まれて死ぬまで、泣いても嘆いても「かろうじて頭を隠してくれるだけ」とかなんとかだったと思うんだけど、この詩もかなり考えさせられるものだった。


他の子達は迷いも明確だったりしたけど、トッドはみんなとはまた違う。そりゃニールが死んだら、あんなに乱れるよな。トッドのそばからニールが消え、キーティング先生が消える、これからあの子が、あの子の家族と向き合えるのかとても心配になる。多分、ニールの後を追うんじゃないかな、きっと最初の頃とは全く違うトッドは頑張るきっかけさえあれば追ってしまうんじゃないかと、思ってしまい涙がとまらなかった。ニール、あんたは大馬鹿者だよ。


立てないほどに泣き崩れるトッドを見て、ニールはどう思ったろうか。


「ニールは自殺なんてしない!!!」

「あの父親がやったんだ!」

「引き金を引いてなくても、ニールを殺したのはあの父親だ!!!」


ニールと関わって、ニールの優しさに触れて、ニールと笑いあった日々があったから、彼はこんなに感情を、悲しさや怒りを、剥き出しにできたんだよニール、ばかやろうめ。

そしてこのシーンの新くんは本当に凄かったなあ、こんな大声出るんだねってぐらいだった。腹から声出てたなあ、もっと訓練したらもっと出そう、これからが楽しみです。

 

 

 

 

◆ニール・ペリー役

→ 瀬戸 利樹

成績はオールAで、友人の輪の中心に居るタイプ。決して裕福でない家庭で育ったため、父親からは過度な期待を受け、やりたいことを制限され、日々プレッシャーを感じている。キーティング先生を信頼し、実は役者になりたいという情熱を内に秘めている。


ニール自身の生き様もすごくよかったけど、トッドとの絡みがとてもよかったかもしれない。殻に閉じこもって自身を曝け出さないトッドに、手を差し伸べるニールはたまらんかった。トッドのところでもあげたけど、トッドの誕生日に去年と同じ大学のマグカップが両親から届いた彼に対して、「来年もまた同じマグカップがもらえるさ」と笑いかける。こんな子おる…????って泣きそうになった。ここのシーンは、ここのシーンだけでも、数億回みたいですね。見るたびに、思うこと変わりそう。

トッドは、去年と同じ誕生日プレゼントを送ってくるなんて、両親は僕に関心がないんだ。と、卑屈になり、落ち込んでいるところに、ニールのこジョークが本当にたまらんかった。全人類が求めている親友だろ!!!!!!!!!!!!


トッドに反して、ニールは親の期待を一身に受けて応えてきた人物。トッドの支えはニールとなり、ニールの支えもトッドになっていたことだろう。トッドにとってニールは未来だったし、ニールにとってトッドは希望だった、みたいな、知らんけど。


ニールの死は、いまだに受け入れ切らないところがある。が、彼にとって、演技をすることが最大限の証明で、最大限の反抗だった。なんとかわかって欲しいと、声にしたし行動にも起こしたのに、キーティング先生や死せる詩人の会がある刺激的なこの学校すら、明日には転校手続きさせられると言われ、絶望したこと、物凄いわかってしんどかったな。


「お前はハーバードに行って医者になるんだ!」

「あと14年も我慢するなんて、僕の人生は終わってしまう!」

「大袈裟だ!刑務所に行くわけじゃない!」

「一緒だよ…」


父親の言いつけをこれまで通り守り、明日から別の学校に通わなくてはならない、そんな未来がくるならいっそ、今日で終わらせてやろうという思い。明日を迎えることよりも、いまそれを断ち切ることを選んだニール。わたしも両親から抑圧された幼少期だったし、その頃のことを牢獄にいるような気持ちだったと振り返ったこともあるので、なんだか少し重なってしまって、ズーーーーンてなったなあニールくん。ニールはわたしと違って、勉強することは嫌いじゃなかったはずなんだよねえ、ただ人生観っていうか、まあ時代がそうさせた感もあるんだろうけどね。この時代のアメリカ背景はあんまりよくわかってないけども。


そう、ニールは、誰よりもキーティング先生の言葉に感銘をうけて、変わろうともがいていたようにも思います。好奇心も旺盛で、学校年鑑でキーティング先生のことを、死せる詩人の会のことを見つけてきたのも彼だった。あのときのきらきらしたお顔…可愛かったなあ瀬戸くん。

そして彼は、キーティング先生に止められるが、死せる詩人の会の真似事をその日の夜にやってみる。みんなで人生を語らう。

彼がようやく見つけた芝居。「演じる」ということはとても楽しかっただろうことは、チャーリーが叫んだ「あいつはこの世界に心躍らされていたのに!!!」というセリフが忘れられない。ニールは、どんなに辛くても、いまを生きるこの世界に心を躍らせていたんだよな…、過去形。


ニールの印象深いシーンはまだまだある。もちろん最後の、自殺をするシーンは凄かったな。ここ宮近さんでも見て見たかったな〜て思いました。

ニールが最後に言うてる、パックのセリフはとても印象的で、彼のあの表紙から、パックのセリフが発せられるたびに、目からドバドバと涙が出た。


父親に黙って勝手に申し込んだオーディションで、見事に主役の座を手にしたニールは本当に凄いと思うし、これが発覚した時点で父親が少しでも彼に芝居をやらせてあげていたら、これまでの生き方もあったから、今があるんだとニールは父親に感謝する未来があったとも思うのに、本当に悔やまれる。が、歯車は歪なまま周り続ける。

舞台の本番、父親は観にくるんだよね、芝居とはいえ客席にいる父親にも届くように、シェイクスピア「夏の夜の夢」妖精パックはセリフを紡ぐ。

 


 我ら役者は影法師

 皆様方のお目がもし

 お気に召さずばただ夢を見たと思ってお許しを。

 拙い芝居ではありますが、夢に過ぎないものですが

 皆様方が大目に見て、お咎めなくば身の励み。

 私パックは正直者です。

 幸いにして皆様のお叱りなくば私も励みます、

 なので皆様も見ていてやってください。

 それでは、おやすみなさい。

 パックがお礼を申します。

 


シェイクスピアの夏の夜の夢で、なんとなくこれってことはわかっていたけど(だからこそ号泣したけど)全く知らんかったら、ちょっと混乱しそうだったからよかった。詳しい友達に、パックの口上教えろ!!!つってこれきたんだけど、うんまあなんかこんな感じだった気もする。なんかもっと柔らかかった気がするけど、おおかたあってるだろ、ってことで。…いや絶対もっとちゃと意訳されたセリフになってた気がするけど、わたし録音するオタクじゃないし、まあここは意味さえなんとなくあってればいいだろ笑笑


はーーーーーーーーーーーーーーー、、、まあ、パックの時点で察してはいたけども。これ、あ、シェイクスピアの夏の夜の夢は、妖精のパックが媚薬を塗る相手を間違えたたことによって怒るドタバタ恋愛というか。寝てる人の顔だっけ、に、媚薬をぬるんだよなたしか。目を覚まして1番最初に見た人を好きになる、ドラえもんの道具みたいな薬があって、それを塗る相手をパックが間違えてしまうことで話は始まる感じだったはず。まあもっとロバとかそういうのもあるけど、そのへんは今回の舞台にはいらん。このパックの役を、ニールがやったことがめちゃくちゃ重要だよなー。


最後の、パックを演じたニールが、父親に連れ戻されて家につく。父親にも届けと、もちろんニールはパックとしてもそうだけど、演者としてもこの言の葉をのせたが、残念ながら父親には届かない。


「役者なんてそんなくだらないものはやめろ」


みたいなことを言うんですよね。うわーーーーん言っちゃったーーーーーしんどいーーーーーーーーー、ニールーーーーーー!!!!ってもう、うるうるだった。ニールは頑張ったよ、頑張って父親に伝え続けた。相当に練習したし、これがうまくいけば認めてもらえるかもしれないとすら、わずな希望を抱いていた。なのにこんなことを言われてしまう。

ここで、少しでも、父親が彼を認めていたらなあと思うと、本当に胸が苦しい。


父親は翌日に学校の転校手続きを行うと伝え部屋を出る。

ニールは、パックの口上を言いながら、最後に拳銃を自分のこめかみに当てて、セリフの終わりとともに引き金をひく。


パックのいう「影帽子」とは、役者とか「表舞台に立つ人とは対照的にある人」みたいな、シェイクスピアのこの話の中では「妖精」と言う存在という意味だけど、まあようは「所詮は影にすぎないわたしたち」みたいな。そんな感じの意味だったかな。(瀬戸くんがここで影帽子を言ったかどうかはわからんけど、ていうか言ってない気もするけど、口上自体の意味はさして変わってないと思うで、言ったことにする)

影はもともと、儚いものとか、たちまち消えてしまうものとして表現されがちじゃんね、だからもうわたしもうここの「パックの口上」がある時点で勝手に「ニールが死んでしまうあううううううううう」って涙とまならなかった。鼻水もたくさんすすってしまったので、さぞ煩かったことでしょう。ごめんな隣の基俊介担。


ここでいう「夢」は、ニールがみた役者としての夢ともかかってんじゃないのかなーと思います。ニールはこの口上のあと、引き金をひく。まあ全てわたしの感想だけど。


その前では、洞窟の中で死せる詩人会が開かれている。

本当だったらここにニールもいるはずだったけど、ニールはもう永遠の眠りにつく。死せる詩人の会でキーティング先生が「生きろ!」と力強く語る、その後ろで(ニールの家で)1人の少年が息をひきとる。こんな辛いことがあるだろうか。


ニールが幸せに、人生を進むことができるようなタイミングはたっくさんあった。他の子達のこれからを思えば、どうにか幸せな未来を想像することはできるけど、ニールの時間は完全に止まってしまっているので、どうこうもないということが、こんなに悲しいこととは。

死して、全ての束縛から解放されたニールが、現世ではないどこかで自由にいれますように。

 

 

 

あ、で、ニール役の瀬戸くんなんだけど、べらぼーに可愛いくて、べらぼーに好みで、わたし気が狂うかと思った。お目々くりくりでもちもちで身長もそこそこ、はい大好きー!!!!!!!付き合いたい!(軽率)

杏さん主演ドラマ「偽装不倫」で、仲間由紀恵さんとおやおや?な関係だったピンク頭のボクサーの子だよね!!!開演前にパンフレット開いてびっくりした(IMPACTorsちゃんたち以外ちゃんと確認してなかった)あんな地上波ドラマでメインキャストはった子を、わたし、どセンターの良席で見ちゃっていいですかー!!!!!叫びたかった。どタイプだと、

 

 

 

◆クリス役

→ 小向なる

ノックスが一目ぼれをする美人。チェットという恋人がいる。


めーーーーーーちゃくちゃ可愛かった。クリスが、ノックスと呼んだり、「あなたむかつくわ」と笑いながら言う声色とか、ノックスって呼ぶんだよなクリス、めちゃくちゃ可愛いかった。悶えるミークス基俊介とトッド新くんに、更にわたしも興奮して、あの瞬間だけは平和すぎてわたしもうこれが日常だといいのにねえと思うほどでした。小柄で細くてお顔も小さくて本当に可愛かったなークリス。影山担生きてる?ってくらいに可愛かった。ありゃあずるい。ってか影山さん実は身長180あるのでね、ああやって女性と並ぶとまたさらに影山さんはかっこいいし、隣の女性は可愛いくなる。まー小向さん可愛いかった。


カテコで、大阪で本当な美味しいものが食べたかったけど、コロナ禍でそれもなかなかできなくて、みたいなお話しをされてたかな。可愛いすぎる…って、わたしずっと、ふふふふって笑ってしまったし、他の出演者の方たちもくすくす笑っていて、いい雰囲気だったなあ。


クリスに関しては、婚約者のチェットがいるにも関わらず、ノックスからの一方的な愛情表現に折れてしまった人というか。キーティング先生によって、ノックスの愛情表現が爆発した被害者というか笑

クリスの立場になって考えてみたら、いきなり他校の男子がやってきて教室でポエムを大声で語られるんだぞ、名指しで、たまったもんじゃない笑

あんまり情報はないけど、チェットってガキ大将みたいな感じっぽいし、普通にクリスも危ない感じする。まあ、怒り狂ってるチェットを抑えて、クリスはノックスに会いにくるあたり、力関係なぞだけど。どうなんだろ、わたしは勝手にアメフト部みたいな子をイメージしてて、なんていうか、あのー、バックトゥーザ・フューチャーのビフみたいな。…や、あそこまでじゃないと思うけど笑 なんかあんなイメージなんだな。ノックスくんぼこぼこにされちゃう笑笑

 

なわけで、2人はなかなかすぐに幸せにはなれんだろうけど、どうか幸せになって欲しいよ。だってさあ、ミークス基俊介が、クリスを認識したときのセリフ、凄いよ。

 

 


「信じられないよ!クリスが実在の人物だったなんてーーー!」

 

わたしすぐメモった。真顔で、これ。

クリス…罪な女だぜ…、、、ミークス基俊介の可愛いさすごかった…生唾

 

 

 

 

◆ ジョン・キーティング役

佐藤隆太

ウェルトンの卒業生で、現在は教師1年目。彼も瞳に輝きを宿しているが、彼独特の特別ないたずらっ子の要素を持っている。風変わりな授業を通じ、生徒たちに人生の意味を問いかける。


はじめての、生・佐藤隆太さんだったんだけど、まあ大きい人だったな。岩本さんを見た時に感じる威圧感みたいなあれだった。どんなに舞台のはじにいようが、常に威圧感というか、「でっかい…」だった。ていうかかっこよかったな。


キーティング先生は名言がたっくさんあって、どれもよかったなー。1番とか決められないなー。強いて言うなら、ある授業でのひとこまで生徒たちを歩かせて「君たちの歩き方を見つけろ」と教えるシーンかな。ま、ここはチャーリーも好きだったからなんだけど笑

自由に歩いてみろという中で、みんな様々な歩き方をする。周りに合わせたりする動き方は間違ってはいないけど、もっと自分なりのペースで歩いたり、たまには立ち止まったりしていい、自分の好き方向へ好きなように歩いていい、不恰好でも愚かでもいいんだと教える。


このときのミークス基俊介も、はちゃめちゃに可愛かったんだよなーーーーーーーーーーーーーーーーー(大の字)マッチョのように胸を張って、両腕をがっしりさせて、むきむきと大股で歩く。キーティング先生も途中でミークスの真似して歩いて、2人でニコニコしてた。身長差に鼻血…、、、ここっていつも同じなの?アドリブありそうだけどな。

ミークスは楽しんでいたし、キャメロンはおどおどして自分がちゃんと歩けているかどうがだったり、チャーリーは歩かないという選択をしたりする。


椅子に座ったままで、歩き回るみんなを見て指差して笑うチャーリー。キーティング先生は「なんで歩かないんだ?」と問いかけるが、チャーリーは「俺は歩かないという選択をする」と言う。このとき、歩く歩かないじゃなくて「行進」だったかな。ちょっと忘れた。で、このチャーリーの選択に、「そうか!それもいいな!」と肯定する。ここ、歩かないという選択をできるのはチャーリーだけだし、そしてそれを肯定してあげるキーティング先生もよかった。

ここにいる大人たちは、整列を乱すことなく定められた進む道を歩むことが正義だからね。


これは、規範と常識が第一の狭い世界で自由を知る物語だ。


キーティング先生は、机に座って勉強するだけが全てではないことも教える。机に立ってみると、見える景色が違うこと、別角度からものを見る大切さは、狭い世界で生きている生徒たちにとって、価値観の幅を広げることの大事さを教える。

そしてその価値観をひろげることが、悲劇を呼ぶ。


わたしはキーティング先生のことを悪だとは思えなくて、それはもちろんニールの父親に対してもそうなんだけど、ここに登場してくる大人たちは、全くもって悪役ではなく、みんな信念をもって相手と接しているからね。その中でもキーティング先生は、生徒たちに「選択」を与えていたと思います。校長や父親は、信念をもって子供たちに接し、それが幸せだと疑うことがなかったが、キーティングは自由を教え選択肢を見せた。そしていまを生きろと強く訴えかけた。


たぶん、タイトルにあるのはキーティングが授業で教えた、バラの蕾は早く摘め〜なんだよな。「今日咲いている花は明日は枯れる」をキーティングは何語かわからん言葉に訳して教えてたと思う。まあつまりは時間は流れ続けて、明日には枯れるんだから「いまを生きろ」そういうこと。舞台のタイトルなわけで、ここが本筋だよなぁとも思う。明日死ぬかもしれないんだから、と。ここでも、彼は生徒たちに「選択」を与える。明日死ぬかもしれないんだから、バラが枯れる前に早く摘め、と。


あと印象的なのは、「我々は何故詩を読み書くのか。それは我々が人間である証だからだ。」と教えたとこかなー。ただ教科書に載っていることを、載っているからと従順に教えられていただけの受動的な子供たちに、「なぜ」読んだり書いたりするのかを教える。「なぜ言語は存在する?」という問いかけにニールくんかミークスが真っ当なことをあげるんだけど、キーティングは「女を口説くためだ」と言う。

けっこうグッときたけどなーこれ。


そうやって、教科書には載ってないことを教え、生徒たちに刺激を与え続けた。まあでも、学の横幅は広がっていくけど縦軸はなともまあおざなりに。そりゃ、写実主義のとこやってなくて、ノーラン校長も怒るにきまってる。そこはやってくれよ。

わたしが、おいこらキーティングよ、とそもそも思ったのは1番最初の授業で、詩の理解を深めるための縦軸と横軸の点数で詩を評価するブリなんとか博士の教えを否定したとこ。教科書を破り捨てることもわかるし、ブリなんとか博士を「クソッタレだ」とも表現するのもわかるけど、それを敵とかゴミだと表現したのはなんだかなー。完全否定することはなかったじゃーんとも思う。いやほんとわからんでもないけどね、そうやって理論的に評価することで機械的になっていくことを懸念しているんだろうし、愛する生徒たちにそうなって欲しくないのもわかる、これが視野を広げることになり、キーティングの与えたい「選択」であることもわかる。が、否定はしちゃいかんだろ。


もっというと、チャーリーが学校新聞に介入して校長から大目玉をくらうところ。危うくら退学処分になるところだった、反省文をかくチャーリーに対して「賢い者は、絶妙なラインをわかってるものだ」みたいな教えをするんだけど(ここ急に適当なメモだった)これも、先に教えることできたやろがーい、それはするべきやろがーい、自由を教えているんだがら、自由を履き違えたり、責任転嫁するチャーリーみたいな生徒が現れることも想像できたやろがーーーーい。と思ってしまった。


が、キーティングもこれが先生1年目なんだよな。ということにも気がつく。なんともまあ生々しいというか、まあ失敗するよな。って感じ。わしゃモンスターペアレントじゃない笑笑


ただ、チャーリーが1人だけ焦っていたのは明白だった。ここのチャーリーも大好きだったからよく覚えているんだろうけど笑

ニールやノックスに好きなことや目標ができ、トッドも明らかに前とは違う表情をしている。それに比べて自分はどうだ?と、焦っていたのはわかりやすかったじゃん。それに気がつかないってどうなのキーティング!!!!!!!!!!!!!!何かやらかすことはわかりやすい展開だった。そういうとこだぞキーティング!!!!…でもこの人も、先生1年目だもんね…という感情の起伏がすごかったな笑笑


まあでもそれはわたしの個人的な思いであって、キーティングのことわみんな尊敬してたしな。息の詰まる学校生活で、キーティングの授業が楽しみでしょうがなかっただろうし、みんなが(キャメロンだってそう)最後に机の上にたって「おお、キャプテン!我がキャプテン!」と、立ち去るキーティングに投げたのは、心の底からだった。


キーティング先生が、初めて教室に訪れて自己紹介をしたとき「俺のことはキーティング先生もしくは、キャプテンと呼んでくれ」と言ったことが、キーティング先生が教室を去るときに呼ばれるとは。なんて切ない回収。しんどーーーーーーーーーーーーーー。


キーティングは遠い国に嫁を置いてきているので、これからそこに戻るんだろうけど、きっともう先生にはなれないんじゃなかろうか。キーティングがウェルトンで先生であったこともまた、パックの「夢」の中のことだったのかもしれない、それでは皆様おやすみなさいまし。いやそんなことあるかーい(ノリツッコミ)

 

 

キーティングにとって、ニールの死は一生忘れられない生徒になったことはわかりきってるし、それを背負って生きていくこともわかりきっている。生徒たちの前で弱い部分を見せなかったキーティングが、愛する嫁の胸の中で、子供のように泣いたりできたらいいなあとかも思いました。

先生として教団に立つことはできなくとも、人に教える立場の人であって欲しいなあ。

 

 

佐藤隆太さんは、カテコで「さっきのあの演技のあとなんで、涙が、あの、」って、最初もごもごして、ニコニコして涙をふいて、「わー俳優さんだ…」って感動してしまった。(一般人の感想)佐藤隆太さん本当にかっこよかったな。6人の生徒役である若手の子達と、どんなお話をしてきたんだろう。たぶんアドリブなんだろうなこれ、と思ってみたところあるし、カテコの佐藤隆太さんのいじりとかほっこりしたなあ。

ってか佐藤隆太さんの基俊介へのいじり具合というか、ちょっかいというか、…あれさあ、あれだよね。基俊介の可愛がられの天才のやつだよね…。佐藤隆太さん180センチで、岩本さんと基俊介の並びとほぼ似てる身長差になるのよね。岩本さんを見上げて笑うときの基俊介と似てるね…佐藤隆太さんを見上げて笑うときの仕草…くううう。嫉妬だわ(は)

だってなんでそんな優しいお顔で、佐藤隆太さんは、基俊介さんに笑いかけるの…嫉妬だよ、岩本担として。大笑い


カテコでの、誰かが喋るときときにそちらに身体こと向けて、最後に大きな拍手をする姿。の、隣で、クリス役の小向なるさんが話す前に、手だけ持っていって乱暴に拍手をする影谷拓也。これを隣にいたら瀬戸くんに「こらこら笑笑」ってやられてた。

 

 

 

 

 


そうなんだよカテコ!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

Wカテコで、瀬戸くんと影山くんが肩組んで大股でふざけてきたんだよ!!!!!!!!!ほんと、主役キャラたち!!!!!なんなのこの2人!!!!!!!!瀬戸くんと影山くんで主演映画やっほしいわーーーーー。女の子2人入れて、4人が交錯する恋愛映画やってくれ。親友同士なのに、あることがきっかけで喧嘩とかもしてくれ、甘酸っぱい映画みたい。瀬戸くん本当に好み。(どさくさ)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ってかカテコの話しこのままするけど、

佐藤隆太さんから最後に、新くんにコメント求められて、会場に向かって佐藤新くん

 


「愛してる〜!!!!」

 


って叫んだんだよ。

 


まじびっくりしたし、二回席の子達うっかり声出しちゃってあわあわしてて可愛かった(オタク好きなオタク)ほんとにすごかったな、このルーキー、爽やかルーキー過ぎる。どんどん吸収して大きな男になってくれ、綺麗な男になってくれ、IMPACTorsのセンターよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


なんか、しめられそうな雰囲気だからここで終わりにしていいかな笑

 

 

 


◆ ペリー氏役

→ 飯田基祐

ニールの厳格な父親。自身の価値観を息子のニールに押し付ける。それが結果的な悲劇を巻き起こすことに。


◆ポール・ノーラン役

佐戸井けん太

校長を務めている。生徒を規律正しく教育する、彼がウェルトン・アカデミーそのものである。

 

 

お二方とも、物凄い迫力で、わーーーーーーーよく悪役なことが多い方々だーーーーー!と観劇できることに感動してしまった。チョロい一般人である。いや本当に、遥かに他の出演者よりも出番数は少ないに関わらず、こちらに残る印象がまあ強い。

キーティングのところでもかいたけど、この大人たちも、決して悪者てわけではないんだけどね。まあストーリー上はそうなるわな。


もう少し父親が、ニールの言葉に耳を傾けていたら。もう少し校長が、なんてそれにつきる。…権力を持つ者がどういう思想であるかは、従うしかない者たちに大きく左右する。


父親は息子ニールの死を学校のせいにする。

「わたしの息子の人生をなんだと思っているんだ」こう叫ぶシーンは、とても胸が締め付けられた。だって、あんたが1番、息子の人生をなんだと思っているんだ、と、特大ブーメランだったじゃんか。自分も芸事の道に進んだが、現在のペリー氏の稼ぎはそこまでよくなく、貧乏な暮らしをしいられている。だからこそ、息子のニールにはそうなってほしくないという思い。最初はたしかに愛情だったはずなのに、いつからかそれを強制する、もはや人間とも思っていないような扱いをしてしまう。


ニールの死は、トッドが泣き叫んだように、殺してはいないけど引き金をひかせたのは父親だとわたしも思っている。そして、時代がそうさせたわな。

あともう少しだけ、時代が。あともう少しだけ、父親が。そうやってたらればばかり話してしまう。よくないけど、それに尽きる。

 

ノーラン氏も、きっと、これからは大変なはずだ。キーティングに全ての罪を押し付け、一難は去ろうとも、きっと彼は意識は改まることはないだろうから、また同じようなことが繰り返されてしまうのは明白だろ。ただまあ、ノーラン氏のやり方が完全に間違ってるわけでもないのが、難しいところで…。

これは、規範と常識が第一の狭い世界で自由を知る物語だと、わたしは思っている。知るっていうか「学ぶ」かな。その中で、規律とはノーラン氏のことだとも思ってます。だからノーラン氏がいないことは、それはそれでだめなんだよな。そして常識は、ペリー氏のことだと思ってるので、それらに対しての自由をどれだけ手に入れられるかだ。いつの時代もどこに身をおいていようとも、それらの絶妙なバランスの中でわたしたちは生きてる。彼らのこの狭い学園という世界で、あまりにも自由への分杯が少なかったよなあ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ずっとしんどかったけど、希望はあったし、わたしはいまを生きてる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

はーーー他の公演も見たいなーーーーーちくしょう。

 

 

 

基俊介可愛かったなー(どさくさ)